リューネブルグ 塩の上に築かれた湯治の町

 絵に見るような古い時代の町通りにある歩行者天国をぶらぶら散歩しながら、買い物をするのもその生活の一部です。また、威厳に満ちたヨハネ教会・ミハエル教会・ニコライ教会、あるいはリューネ僧院で行われる静粛な礼拝や演奏会などもそうです。

 マイセン陶磁器製のチャイムが奏でる鐘堂のある市庁舎の前で繰り広げられる華やかな朝市の雰囲気は町や田舎からでてきた人々を南国風の陽気さに誘います。

 さらに、普通の酒場から最高級のレストラン、またアルト・クランのシュティント・マルクトにある気楽な若者たちが集まるクラブから上流市民用のニーダーザクセン風または異国風の特別ナイトクラブまで色々な形で提供される飲食転業があります。


 けれどもこの町の本来の歴史は塩と共に始まったのです。
 粋に改造された古い家屋が立ち並ぶ旧市街の曲がりくねった路地をぶらつくものは、下層部から上層部まで全くの岩塩と石膏からなる2000メートルの深さにわたる地層の頂点にあたる部分を散歩していることになります。

 この岩塩の層は巨大な杭のように白雲石の地層から殆ど地面の近くまで突き出ています。そしてその頂点がKalkberg(カルクベルク=石灰の山)なのです。

 リューネブルクの運命の決め手となったこのカルクベルクの山は、かって領主の重要な要塞でしたが、いまでは町全体を眺望できるいい見晴らし台となっています。

 ザクセン族とヴェルフ家の領主たちはこの町の製塩業を保護しました。リューネブルクの製塩所は一時期2000人もの従業員をかかえていたこともあり、産業革命以前の時代においては最大の産業であったのです。
調味料として、しかしとりわけ最も重要な防腐剤として、塩は北極からドーバー海峡に至るまでの地域において取引されました。


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